導入
2025年6月13日、ついに「その時」が来た。イスラエルがイランに対して「ライジング・ライオン作戦」を実行し、イラン・イラク戦争以来最大規模の攻撃を仕掛けたのだ。テヘランの夜空に響く爆発音、核施設への直接攻撃、そして双方の報復の連鎖――。まさに現代版「目には目を、歯には歯を」の壮絶な展開である。
しかし、この戦争を単なるイスラエル・イラン二国間の対立として捉えるのは、あまりにも表面的すぎる。その背景には、75年以上続くパレスチナ問題という「原罪」があり、ガザ地区230万人の絶望があり、そして何世代にもわたって積み重ねられた憎悪の連鎖がある。
島国日本に住む我々には、到底理解し難い根深い対立がここにある。地理的な隣接、宗教的な対立、そして何千年にもわたる迫害の歴史が複雑に絡み合った、まさに「解けない方程式」のような紛争だ。
「神の名の下に、本当にその命を奪ってもいいのか」――この問いに、果たして明確な答えを出せる者がいるだろうか。ユダヤ教もイスラム教も、同じアブラハムを祖とする兄弟宗教でありながら、なぜここまで血で血を洗う争いを続けるのか。
そして6月15日、さらに衝撃的な事実が明らかになった。イスラエルがイランの最高指導者ハメネイ師の暗殺機会があるとアメリカに伝えていたが、トランプ大統領がこれを却下していたのだ。戦争は新たな段階に入ろうとしている。
今回の攻撃で、イスラム革命防衛隊司令官や核科学者を含む78人が死亡、329人が負傷した。その中には20人の子どもも含まれている。一方、イランの報復攻撃でもイスラエル側に死傷者が出ている。そして忘れてはならないのは、2023年10月7日以降のガザ攻撃で既に4万人以上のパレスチナ人が犠牲となっていることだ。
この記事では、現在進行形で展開される中東の三つ巴戦争の背景から最新の動向まで、そして宗教的対立の本質について、少し斜め上から真剣に掘り下げてみたい。
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背景と発端――75年続く「原罪」の構造
パレスチナ問題という「原罪」――白人たちが勝手に決めた分割
すべての始まりは1947年の国連パレスチナ分割決議にある。しかし、この決議を詳しく見ると、まさに「白人たちが勝手に決めた」という側面が色濃く浮かび上がる。
当時パレスチナの人口構成は、アラブ人約130万人(67%)、ユダヤ人約63万人(33%)だった。にも関わらず、分割案ではユダヤ人により多くの土地(55-57%)が割り当てられた。しかも、ユダヤ人には肥沃な沿岸部と内陸部の良質な土地を、アラブ人には山岳地帯や砂漠地帯の多くを割り当てるという、露骨に不公平な内容だった。
この不公平な決議の背景には、欧米諸国の身勝手な思惑があった。アメリカのトルーマン大統領は1948年の大統領選挙でユダヤ票を獲得するため賛成し、実際に75%のユダヤ票を得て僅差で勝利した。ソ連は中東での影響力拡大を狙い、ヨーロッパ諸国はホロコーストの贖罪と自国からのユダヤ人流出を歓迎した。
つまり、パレスチナに何世代も住み続けてきた人々の意思は完全に無視され、遠く離れた欧米諸国の政治的都合で彼らの運命が決められたのだ。これこそが75年続く紛争の「原罪」である。
1948年5月14日、ユダヤ人はイスラエルの建国を宣言。翌日には周辺アラブ諸国がイスラエルに攻め込み、第一次中東戦争が勃発した。この戦争で約75万人のパレスチナ人が故郷を追われ、難民となった。彼らの多くは今もガザ地区、ヨルダン川西岸、周辺諸国の難民キャンプで暮らしている。
「土地を奪われた者の怒りは、時間が経っても消えない。むしろ、世代を重ねるごとに濃縮され、純化されていく。これが中東紛争の本質だ。」
ユダヤ人迫害の長い歴史と「二度と被害者にならない」誓い
一方で、ユダヤ人が歩んできた苦難の歴史も理解しなければならない。紀元70年にローマ帝国によってエルサレム神殿が破壊されて以来、ユダヤ人は約2000年間、世界各地に散らばって生活してきた。
11世紀末の十字軍時代から本格的な迫害が始まり、1096年にはドイツのライン地方で最初の大規模なユダヤ人襲撃事件が発生した。中世ヨーロッパでは、ペストの流行をユダヤ人のせいにして虐殺が行われ、近世には東欧でポグロム(組織的迫害)が頻発した。
そして20世紀に入ると、ナチス・ドイツによるホロコーストで約600万人のユダヤ人が虐殺された。この歴史的記憶が、現代イスラエルの安全保障政策に決定的な影響を与えている。「二度と被害者になってはならない」という集合的記憶は、時として「先制攻撃も辞さない」という極端な政策につながる。
ガザ地区――「天井のない監獄」の現実
現在のガザ地区は、まさに「天井のない監獄」と呼ばれる状況にある。面積わずか365平方キロメートル(東京23区の約6割)に230万人が住む、世界で最も人口密度の高い地域の一つだ。
イスラエルによる海上・陸上・空中の封鎖により、住民の移動は厳しく制限され、経済活動も大幅に制約されている。失業率は50%を超え、特に若者の失業率は70%に達する。電力供給は1日4-6時間程度で、上下水道インフラも老朽化が深刻だ。
2007年にハマスがガザ地区を実効支配して以降、イスラエルとの軍事衝突が繰り返されている。2008-09年、2012年、2014年、2021年、そして2023年10月以降と、数年おきに大規模な戦闘が発生し、その度に多くの市民が犠牲となっている。
関係者と動き――感情と理性の狭間で
ネタニヤフ政権の「生存のための戦争」
現在のイスラエルを率いるベンヤミン・ネタニヤフ首相は、一貫してイランの核開発に対する強硬姿勢を貫いてきた。2023年10月7日のハマスによる大規模攻撃以降、イスラエルは「破られた抑止の回復」を最優先課題とし、ガザ地区への大規模侵攻を継続している。
ネタニヤフ政権にとって、これは単なる軍事作戦ではない。「生存のための戦争」なのだ。ホロコーストの記憶を持つイスラエル社会において、「イスラエルの殲滅」を掲げるハマスやイランの存在は、実存的脅威として認識されている。
「抑制力の回復」――なんとも軍事的で冷徹な表現だが、これが現代イスラエルの基本戦略だ。しかし、妻や子どもを殺された遺族に「報復するな」と言えるだろうか?個人レベルでは理解できる感情が、国家レベルでは制御不能な暴力の連鎖を生む。
ハマスの「抵抗の論理」
一方、ガザ地区を実効支配するハマス(イスラム抵抗運動)は、1987年の第一次インティファーダ(民衆蜂起)の中で結成された。ハマスの憲章は「パレスチナ全土の解放」を掲げ、イスラエルの存在自体を否定している。
しかし、ハマスの支持基盤を理解するには、ガザ住民の絶望的な現状を知る必要がある。封鎖により経済が破綻し、若者に希望がない状況で、ハマスは社会保障、教育、医療サービスを提供する唯一の組織でもある。
2023年10月7日の攻撃で約1,200人のイスラエル人が殺害され、約240人が人質として拉致された。この攻撃の残虐性は国際的に非難されたが、ガザ住民の視点では「75年間の屈辱に対する反撃」という側面もある。
イランの「代理戦争」戦略と地域覇権
イランは直接的な軍事衝突を避けながら、レバノンのヒズボラ、イエメンのフーシ派、シリアやイラクの親イラン民兵組織、そしてパレスチナのハマスなどを通じた「代理戦争」戦略を展開してきた。これらの組織は「抵抗の枢軸」と呼ばれ、イスラエルを包囲する形で配置されている。
イランにとってパレスチナ支援は、単なる人道的支援ではない。イスラム世界のリーダーシップを確立し、地域覇権を握るための戦略的投資なのだ。「パレスチナ解放」という大義名分の下、イランはハマスに年間約1億ドルの軍事・経済支援を提供している。
1979年のイスラム革命以前、パーレビ王政下のイランはイスラエルと良好な関係を築いていた。しかし、革命後のイランは「イスラエルをイスラム教の聖地エルサレムを占領した敵」とみなし、その存在自体を否定するようになった。
個人の痛みが民族の記憶になる時
ここで考えなければならないのは、個人の感情と民族の集合的記憶の関係だ。家族を失った個人の痛みと怒りは、当然の人間的感情である。しかし、その痛みが何世代にもわたって積み重なり、民族の集合的記憶となった時、それは理性的な政策判断を困難にする。
ホロコーストを経験したユダヤ人にとって、「イスラエルの殲滅」を叫ぶ声は、単なる政治的スローガンではない。実存的脅威なのだ。一方、家族を失い、土地を奪われたパレスチナ人にとって、イスラエルの存在自体が許し難い不正義である。
「やられたことを他人にやるな」――個人レベルでは正しい道徳だが、愛する家族を失った人々にそう言えるだろうか?この感情の連鎖こそが、中東紛争が解決困難な根本的理由なのだ。
法的・政策的な攻防――国際法の狭間で
占領政策の国際法違反と「既成事実化」
イスラエルの入植活動は国際法違反とされている。1967年の第三次中東戦争でヨルダン川西岸地区、東エルサレム、ガザ地区を占領したイスラエルは、国際法上認められていない地域まで実効支配を拡大した。
現在、ヨルダン川西岸には約70万人のユダヤ人入植者が住んでいる。これらの入植地は国際法上違法とされているが、イスラエルは「既成事実化」を進めることで、将来の和平交渉を有利に進めようとしている。
「被害者から加害者へ」――これほど皮肉な歴史の転換があるだろうか。ホロコーストの被害者だったユダヤ人が、今度は占領者として国際的に批判される立場に立っている。
パレスチナの「抵抗権」と国際法
一方、パレスチナ側は国際法上の「抵抗権」を主張している。占領下にある民族は、占領に対して抵抗する権利があるというのがその論理だ。しかし、この「抵抗権」が民間人への攻撃を正当化するかどうかは、国際法上も議論が分かれる。
核開発疑惑と予防攻撃論
イランの核開発疑惑が浮上したのは2002年。イスラエルは一貫して「イランの核武装は絶対に阻止する」との立場を取り、必要であれば予防攻撃も辞さない構えを示してきた。今回の攻撃では、ナタンズ、フォルドウなどの核関連施設が直接標的となった。
宗教的正当化の危険性――生き方そのものをかけた戦い
最も危険なのは、政治的・軍事的対立が宗教的対立として固定化されることだ。両国とも宗教的な大義名分を掲げている。イスラエルは「約束の地への帰還」を、イランは「イスラム教聖地の解放」を主張する。
しかし、なぜここまで宗教にこだわるのか。日本人には理解し難いが、その背景には宗教と法律の一体性がある。
ユダヤ教では613のミツヴァ(戒律)がトーラーに記され、これが宗教的教えであると同時に生活規範となっている。イスラム教ではシャリーア(イスラム法)が「正しい道」を意味し、信仰から日常生活、商取引、政治、戦争処理まで全てを規定している。
つまり、彼らにとって宗教とは単なる信仰ではない。生き方そのもの、人生の設計図なのだ。2000年間の離散の中で、ユダヤ人が「ユダヤ」であることを確保する手段として、宗教的戒律が生活の隅々まで規定された。負け続けてきた民族が、何世代経ても自分たちのアイデンティティを保持するための「生存戦略」だったのである。
エルサレムは三つの宗教すべてにとって聖地だ。ユダヤ教にとってはソロモン神殿があった場所、イスラム教にとってはムハンマドが昇天した地。宗教=生き方=法律である社会では、聖地は単なる場所ではなく「自分の人生の集大成」なのだ。
もし今の私たちの生き方を全否定されたら、反抗するだろう。それと同じ感情が、彼らの中にある。ただし、その反抗が武力行使に転じ、無辜の市民、特に子どもたちが犠牲になることは、どのような大義名分があろうとも正当化できない。
愛する人を失った遺族にとって、宗教的信念を貫くことは、その死に意味を与える唯一の手段かもしれない。「神への信仰を捨てれば、愛する人の犠牲は何だったのか」という問いが、彼らを宗教的確信に縛り付ける。この感情の連鎖こそが、宗教紛争を終わらせることの困難さを物語っている。
宗教的信念が政治的・軍事的行動の正当化に使われる時、往々にして歯止めが利かなくなる。なぜなら、政治的妥協は可能でも、宗教的信念に妥協はないからだ。「神の意志」に逆らうことは、信者にとって不可能なのである。
世界・各国の対応――大国の思惑と地域の混乱
アメリカの複雑な立場とトランプの判断
アメリカはイスラエルの最大の同盟国でありながら、中東全体の安定も求めている。年間約38億ドルの軍事援助をイスラエルに提供する一方で、パレスチナ自治政府にも人道支援を行っている。
今回の攻撃でも、米軍がイランのミサイル迎撃を支援した一方で、事態のエスカレーションを懸念している。そして6月15日、衝撃的な事実が明らかになった。イスラエルが6月13日の攻撃開始後、イランの最高指導者ハメネイ師の暗殺機会があるとアメリカに伝えていたが、トランプ大統領がこれを却下していたのだ。
米政府高官によると、トランプ大統領は「イランがまだ米国人を殺害していない」として、政治指導者の暗殺には反対したという。これに対しネタニヤフ首相は「虚偽の報道」と否定しつつも、「我々はやるべきことをやる」と含みを残した。
アメリカ大統領でさえ制御できないイスラエルの暴走――同盟国の枠を超えた独自行動が、地域全体を戦火に巻き込む可能性を示している。
中東諸国の複雑な思惑
サウジアラビアをはじめとする湾岸諸国は、イランの影響力拡大を警戒しつつも、地域全体の戦火拡大は避けたいのが本音だ。2020年のアブラハム合意でイスラエルとの関係正常化を進めたUAE、バーレーンも、パレスチナ問題の解決なしには完全な和解は困難だと認識している。
一方、シリア、イラクなどの親イラン国家は、イランへの支持を表明している。レバノンは国内にヒズボラを抱え、事実上イランの影響下にある。
国際社会の無力感
国連をはじめとする国際機関は、有効な調停手段を持たない。安保理は大国の拒否権によって機能不全に陥り、結果として軍事的解決が優先される悪循環が続いている。
「国際法も国際機関も、結局は大国の都合で動く」――これが現実だ。正義や人道を掲げても、最終的には軍事力と政治力がものを言う世界で、中小国の市民は常に犠牲になる。
今後の展望――終わりの見えない連鎖
エスカレーションのリスクと最新の戦闘状況
今回の攻撃により、イスラエル・イラン間の「冷戦」は「熱戦」に転じた可能性が高い。イランの最高指導者ハメネイ師は「イスラエルは必ず報いを受ける」と報復を宣言しており、さらなる攻撃の応酬が予想される。
戦闘は激化の一途を辿っている。6月15-16日時点で、イスラエル側は子どもを含む13人が死亡、390人が負傷。イラン側もテヘラン州で78人が死亡し、革命防衛隊の幹部も犠牲となった。イスラエルはイランの石油・ガス施設への攻撃を強化しており、事態は予断を許さない状況だ。
特に懸念されるのは、レバノンのヒズボラが本格的に参戦することだ。ヒズボラは約15万発のロケット弾・ミサイルを保有しており、これらがイスラエル北部に一斉発射されれば、イスラエルの防空システムも対応しきれない可能性がある。
ガザ地区の人道危機深刻化
ガザ地区では既に4万人以上が犠牲となり、インフラは壊滅状態だ。病院、学校、住宅の多くが破壊され、230万人の住民が極めて困難な状況に置かれている。
国際社会は人道支援の拡大を求めているが、戦闘が続く限り根本的な解決は困難だ。特に子どもたちへの影響は深刻で、PTSD(心的外傷後ストレス障害)を患う子どもが急増している。
地域全体への波及
イエメンのフーシ派、シリアやイラクの親イラン勢力が本格的に参戦すれば、中東全体が戦火に包まれる可能性がある。紅海での商船攻撃も継続しており、世界経済への影響も懸念される。
核拡散の懸念
イランの核施設への攻撃は、皮肉にも核開発の加速を招く可能性がある。「攻撃されるなら核武装で抑止力を」という論理は、北朝鮮が実証済みだ。
イランが核兵器を開発すれば、サウジアラビア、トルコ、エジプトなども核開発に乗り出す可能性があり、中東全体の核拡散リスクが高まる。
宗教対立の深刻化と世代間継承
最も深刻なのは、政治的・軍事的対立が宗教対立として次世代に継承されることだ。ガザの子どもたちは爆撃の恐怖の中で育ち、イスラエルの子どもたちはロケット弾の脅威の中で暮らしている。
この体験が彼らの世界観を形成し、将来の政治指導者となった時、さらに強硬な政策を取る可能性が高い。憎悪の再生産サイクルが続く限り、平和の実現は困難だ。
総まとめ――感情と理性の狭間で
「被害者から加害者へ」の皮肉な転換
今回のイスラエル・パレスチナ・イラン三つ巴戦争を見ていると、歴史の皮肉を痛感する。ホロコーストの被害者だったユダヤ人が、今度は他民族への加害者として国際的に批判される立場に立っている。
しかし、この転換を単純に「善悪」で判断することはできない。愛する家族を失った人々に「報復するな」と言えるだろうか?妻や子どもを殺された遺族に「理性的になれ」と求めることができるだろうか?
「極端な話、自分がやられたこと、相手にやるなよ!」――個人レベルでは当然の感情だが、この思いが何百人、何万人になった時、民族の「思い」となった時、国家に抑制ができるのか?抑制できないから、ずっと戦争を繰り返すのが今の結果なのだ。
感情の連鎖が理性を圧倒する現実
中東紛争の本質は、感情と理性の葛藤にある。個人の痛みと怒りは正当な人間的感情だが、それが民族の集合的記憶となり、政治的意思決定を左右する時、理性的な解決策は見えなくなる。
ユダヤ人にとってのホロコースト、パレスチナ人にとってのナクバ(大災厄)、イラン人にとっての西欧列強による屈辱――これらの歴史的記憶が現在の政策を規定している。
宗教の政治利用という古典的手法
十字軍の時代から変わらない「聖戦」の論理が、21世紀の今も生き続けている。ユダヤ教、キリスト教、イスラム教は、いずれも平和と慈悲を説く宗教のはずだ。しかし、それらの教えが政治的野心や民族的憎悪と結びついた時、最も残酷な戦争の口実となる。
「神の名の下に」行われる暴力ほど、歯止めの利かないものはない。なぜなら、神の意志に逆らうことは、信者にとって不可能だからだ。
「白人による勝手な決定」の現代的帰結
1947年のパレスチナ分割決議が示したのは、植民地主義的思考の典型例だった。現地住民の意思を無視し、遠く離れた欧米諸国の政治的都合で境界線を引く――この手法は、アフリカやアジアの多くの地域で同様の悲劇を生んだ。
75年後の今、その「原罪」の代償を払っているのは、決定に関与しなかった無数の市民たちだ。イスラエルの子どもも、パレスチナの子どもも、イランの子どもも、皆等しく犠牲者なのである。
島国日本の視点から見えること
我々日本人には、確かに理解し難い対立だ。島国という地理的条件、比較的均質な文化、そして戦後80年間の平和――これらすべてが、中東の現実とは正反対だ。
しかし、だからこそ客観的に見えることもある。宗教的信念も民族的誇りも大切だが、それが子どもたちの命よりも重いはずがない。イスラエルの子どもも、パレスチナの子どもも、イランの子どもも、同じ人間だ。
解決の困難さと希望の可能性
この問題に簡単な解決策はない。しかし、絶望する必要もない。北アイルランド紛争、南アフリカのアパルトヘイト、東西ドイツの分裂――歴史上「解決不可能」と思われた対立も、最終的には平和的解決に至った例がある。
鍵となるのは、次世代の教育だ。憎悪ではなく理解を、復讐ではなく和解を教える教育システムの構築が不可欠だ。また、経済協力を通じた相互依存関係の構築も重要である。
答えのない問いと向き合う意味
「神の名の下に、本当にその命を奪ってもいいのか」「被害者だった者が加害者になることは正当化されるのか」「感情と理性、どちらが優先されるべきなのか」――これらの問いに明確な答えはない。
しかし、答えを探し続けることに意味がある。なぜなら、無関心こそが最大の悪だからだ。遠く離れた島国の我々にできることは限られているが、この現実から目を背けず、考え続けることはできる。
大切な人を失った人は、その来る日のために、神に自分をささげ続けないと、愛する人の犠牲がなんだったのか。根底から崩れるから。だから止められないんだよね。泣けてくる。
読者への最終的な問いかけ
最後に、読者の皆さんに問いたい。
もしあなたの家族が理不尽に殺されたら、報復を思わないでいられるだろうか?
もしあなたの祖先が2000年間迫害され続けたら、「二度と被害者にならない」と誓わないだろうか?
もしあなたの土地が奪われ、子どもたちに希望がない状況に置かれたら、抵抗しないでいられるだろうか?
これらの問いに簡単に答えることはできない。しかし、この複雑さこそが中東紛争の本質であり、我々が理解しなければならない現実なのだ。
イスラエル・パレスチナ・イラン三つ巴戦争は、まだ始まったばかりかもしれない。ハメネイ師暗殺計画の浮上は、事態がさらに深刻化する可能性を示している。しかし、その行き着く先が破滅でないことを、心から願っている。そして、いつの日か、この地に真の平和が訪れることを信じている。
答えを探しきるつもりはない。探しきれるとも思わない。ただ、その事実があること自体から、目を背けたくないだけなのだ。
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