ゲイである私が資産形成とパートナーと愛猫とともに自己肯定出来るまでのお話:第3話

人生再起動回顧録
スポンサーリンク

こんにちは、チャチャです。

前回までは、日本に帰化してからの家庭の構成や思いなどを綴りました。
今回は、その続きとして、「ゲイとしての自覚が芽生えてから」の話です。

前回はこちら👇

とはいえですね、「自分がゲイなんだ」なんて幼少期に自覚できるわけもありません。
そもそも、そんな言葉すら知らないですし。笑

ただ、テレビなどで男性の裸に目がいく自分がいたのは確かです。
確実に、女性を追うことはなかったなって。

あとは幼い頃、街中や道端でエロ本が捨てられてることってありましたよね。
(今は見かけませんね。いや、探してないだけか。笑)

その中の描写で、女性側に自分を重ねる――そんな自分がいたんです。

でもやっぱり、それは「普通じゃない」「違うんだ」という感覚がありました。

嘘をついてる自覚はあまりなかったけれど、幼稚園で一生懸命「ある女の子が好き」と言っていた記憶は間違いなくあります。

まあ、4~5歳で「性の意識を持って好き」なんて言ってたら、それはそれで怖いですよね。
当時は、友情とか仲の良さを「好き」と錯覚していたんだと思います。

それでも、この頃から「嘘をつく」ことを無意識に覚えていた気がします。
本当のことを言っても、自分が認められるわけがないんですから。

子供にとっての世界って、めちゃくちゃ狭いですよね。
家庭と、せいぜい通っている幼稚園くらい。

その限られた世界で認めてもらうには、「嘘をつく」しかなかったのでしょう。
そして、多分この辺りから、「オカマっぽい」と言われたことも影響してると思います。

「オカマっぽい」は嘲笑の対象で、決して褒められるものではなかった。
今でこそLGBTを受け入れる風潮が出てきましたが、当時はそんなもの皆無です。

私と同じように、LGBTに自覚がある人には、こういう記憶がある方も多いのではないでしょうか?

テレビでは、そういった人たちはとにかく「笑いもの」で、バカにしても良い存在のように扱われていました。

そんな背景に加えて、

  • 家庭での暴力、投げかけられる言葉
  • 女の子を好きになれない、仕草や言動が女の子っぽい自分

そんな「満たされなさ」から、嘘をつき続けてきたんだと思います。

幼少期の私はまだ「可愛い」と見られる年齢でしたが、それでも既にいろんな違和感を抱えていたと思います。

そんな中でも、今でも覚えている強烈な記憶があります。

ある夜、私は両親と同じベッドで寝ていました。
夜中にふと目が覚めると、隣で両親が性行為をしていたんです。

もちろん当時の私は、それが何なのか理解していません。
でも、「見てはいけないものを見てしまった」という強烈な恐怖がありました。

自分が起きていることがバレてはいけない。
そう思って寝たフリをするのが必死でした。

今になって分かりますが、あれは立派な「性的虐待」だったと思います。
ほんと、欲望に忠実で理性のかけらもないなと。笑

その後も何度か遭遇しました。
冷や汗をかきながら寝たふりをする――本当に、あのときは「怖かった」。

とはいえ、父との記憶で印象的なものの中には、悪くないものもあります。

父はスナックやパブでの飲み歩きが大好きな人間でした。
だからまぁ、すぐ浮気するんでしょうけど。

で、その飲み歩きに、なぜか私を連れていくんです。
普通、子ども連れて行かないですよね?笑

どういう理屈が通ったのかは分かりませんが、父は金払いが良かったんでしょうね。
お店も黙認していたのかもしれません。

そこで父が他の女性とイチャイチャするのを横目に、私はカウンターに座って、
マスター(?)が相手をしてくれる。

オレンジジュースと銀杏の塩焼きの旨さは、ここで覚えました。笑

子どもが歌うと大人にウケるじゃないですか。
私の十八番は

  • シャ乱Q「シングルベッド」
  • 郷ひろみ「言えないよ」

という、夜の英才教育を受けていました。笑

大人になってからも、こういった歌謡曲を歌える私は、父親世代に妙にウケが良かったです。
そこは、ある意味で感謝です。

もうひとつ覚えているのは、夜中に警察に保護されたこと。

父が飲みに行き、母も付き合って出かけることがよくありました。
そして、平気で私を家に一人置いていく。

今なら思います。
もし自分に子供がいたら、幼い子供を置いて出かけるなんて絶対にできない。

夜中に起きて、ひとりでいることに怯えて、きっと外に出てしまったんでしょう。
両親を探しに。

結局、警察に保護されて帰宅。
でも、心配されるどころか、ものすごく怒られた記憶があります。
「自分の楽しい時間を邪魔された」から、ですね。きっと。

そんな中、私が7歳のとき、弟が生まれます。

あの両親に、まだ子どもを作るような関係があったのかと思うと驚きです。

その弟とは今、縁が切れています。

弟が生まれた翌日、父はフィリピンに旅行に行ったと母から聞きました。
浮気旅行だったのかな。

でもこの出産以降、家庭はさらにこじれていきました。
(いや、もうすでに相当こじれてたんですけど。笑)

この頃から、母は離婚を決意し始めたんだと思います。

前にも言いましたが、母自身も被害者で、私の想像以上に限界だったのでしょう。
誰かに人生を握られている、その事実が。

そこで再び、夜の仕事に出るようになります。

その後の彼女の様子を見るに、体を売るような仕事ではなく、
銀座のホステスとして飲みの接客だったようです。
(最終的にママになって、自分の店も出してますし)

そんなわけで、母は夜仕事、父は年中飲みか仕事で不在。

私たち家族は、父方の祖父母や親戚の住む「バカ金持ちの家」に引っ越すことになります。
(弟も生まれたばかりですし)

ということで、今回はここまで。

まだまだ、自己肯定感が上がる話にはなりませんね。笑

でも、「嘘をつく人生」=「自己肯定感が下がるエピソード」は、まだまだ続きます。

次回はさらに年齢を重ねた自分と、「親戚」との関係について書いていこうと思います。

ある程度内容がまとまったら、また投稿しますね。
引き続きよろしくお願いします。


スポンサーリンク

チャチャの人生再起動回顧録シリーズはこちら

この「チャチャの人生再起動回顧録」シリーズは、ゲイの私が資産形成やパートナー、愛猫との日々を通じて自己肯定できるまでの話を、淡々&自虐多めで綴っています。

他のエピソードも気になる方は、こちらからどうぞ!

チャチャの人生再起動回顧録

▶ このシリーズのnoteマガジンはこちら👇
チャチャの人生再起動ノート|愛猫とパートナーと

コメント

タイトルとURLをコピーしました